趣味が茶道だという話をすると「優雅ですね」と言われることは少なくありません。
けれど実際は、1時間2時間も正座をし、畳半畳を3歩で歩き、お辞儀を丁寧にし、お茶を頂く前に上座の方に「お続きいかがですか」と伺い、下座の方に「お先に頂戴します」と挨拶をし、亭主に「お点前頂戴します」と言って、お茶碗を手に取り手前に2回まわして、やっとお茶を飲めます。
見た目には優雅と言われる茶道。こうやって文章にすると「しちめんどうくさい」ことのように思えてきます。
ただ、私はお茶の稽古をしていて、めんどうだと思ったことは一度もありません。むしろ何も考えていないという表現が適切です。茶道は和やかな雰囲気の中にも、各人がかなり集中します。考え事をしたり集中が少しでもそれると、作法を間違えたり美味しくお茶が点てられなかったりするのです。
初心者のころは順番や作法を身体で覚えていないために、頭で一つひとつ考えながら進めなくてはいけません。が、慣れてくると手が自然と動くようになるので、お茶を点てるときはお茶を美味しく召し上がっていただくことを心にとめ、お茶碗をゆっくり温めたり、抹茶の量やお湯の加減に気を遣ったりします。お客で座れば、掛け軸の墨跡を見て思い起こすことがあったり、道具組みで季節を感じたり、趣向を楽しめるようになるのです。
茶道は一生が稽古と言われ、その良さや本質は長年のあいだの経験で少しずつ感じられるようになるものだと思います。しちめんどうくさいことが楽しく思えてくるには、積み重ねられる時間が必要なのでしょう。
たとえば料理でも、下ごしらえとか一手間とか、めんどうなことは何度も実践していくうちに、その大切さを理解して楽しく思えてくるのだと思います。
現代は情報社会で、分からないことはスマホで調べれば数秒後には情報が手に入ります。しかし本当に知るというのは、頭と身体と心すべてがそのことについて経験して初めて分かることだと思うのです。
すぐに結果を求められる社会で、時間をかけて積み重ねのうえに気づくことの大切さや、目に見えないものの存在が忘れ去られてしまうような危機感を覚えます。
最後に私の大好きな言葉をご紹介します。
「世の中にはすぐ分かるものと、すぐ分からないもの2種類がある。すぐ分からないものは長い時間をかけて少しずつ分かってくる。お茶をはじめて24年。そういうことだったのか」
映画「日日是好日」で主人公典子の言葉が印象的です。